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Posted by TI-DA at

2012年02月29日

生と死の町バラナシ

生と死が同居する町、バラナシに行ってきました。



ここには有名なガンガー(ガンジス河)があります。
ガンガーは河自体が神様の化身と言われており、現地の人々からは聖なる河として信仰を集めています。

毎朝、朝日に祈りを捧げ、ガンガーで沐浴をするヒンドゥー教徒たち。
河沿いにはガートという階段状の場所があり、そこから河に降りられるようになっています。




ガンガーはすごい河です。
死体、ウンコ、しっこ、洗剤、ゴミ…

全部流れてます。すごい汚いです。笑
生命力が強い大腸菌でさえ3時間で死滅すると言われているこの河。
インド人はここで入浴もするし歯も磨きます。すげえ…




ちなみに日本人は平気な人、体調を崩す人、半々らしいです。
俺はガンガーで沐浴する気まんまんだったけど、直前に恐ろしい話(あそこからバイキンが入り込み、一ヶ月ほど入院した日本人の話)を聞き、入るのやめました。笑
だってそんなのガード不可能じゃん。





ヒンドゥー教では、死んだ後この河に流されることを最大の幸福としているそうです。
そうすると、輪廻から開放されて極楽に行けるんだって!

だからここでは毎日、インド中から死体が運ばれてきます。
死体はガンガー沿いにあるふたつの火葬場で焼かれ、その後河に流されます。

この一連の様子はすべて見ることができます。
薪を組み上げて、その上に死体を載せ、火をつける。だんだん燃えていく体。それを見つめる遺族。
ひとつの死体が完全に燃えるまで約3時間。


徐々に燃えていく体を見て、人間の「死」を感じることができます。
ああ、俺もいつかはこうやって火葬されていくんだろうな…
ガンガーには流されたくないけど。←切実




火葬場の写真を見せたかったけど、写真は禁止されてるんで撮れなかったです。
写真撮っちゃうと、ちゃんと成仏できないんだって。ここまできてそれはかわいそうだから、撮れなかったさ。と、その時。





「はい、チーズ。(カシャ)はい、写真撮ってあげたからチップね!ありがとう!(ニカッ)」





おい、待てコラそこのインド人!!!(怒)




人がせっかく気を使って自粛してんのにインド人のお前が決まりをやぶってどーすんだよ。
撮ってもらってた欧米人の夫婦も考えてほしいもんだ。







しかしインド人のしたたかさは相当なものだ。
火葬を見てるだけでも、「ガイドしてやろうか?」「薪代を寄付してくれないか?」とやたら声をかけてくる。全部詐欺まがいなんだけど。


↑ガイドブックにも乗っている有名人、花売りボーイ。ボートに乗り付けて、花を高値で売る。買わないとずっとついてくる。





ガンガーで沐浴をすると今までの罪がすべて清められるらしいけど、こいつらは毎日入ってもまた新たな罪が加えられるので意味がないと思う。笑









つくづく思うのが、このバラナシはとても「インドらしい」町だということ。本当にすごい!


まず、驚いたのが牛の多さ!どこを見ても牛・牛・牛…
牛はヒンドゥー教では聖なる生き物なので、野放しにされているのだ。野良犬・野良猫ならぬ「野良牛」ってやつ。


話には聞いてたけど、この牛の数の多さには正直驚いた。
市民権どころか、選挙権も持ってると思う。笑







そして、修行僧や詐欺師もかなり多い!
白髪の長髪をまとめ、河沿いでたっぷりのマリファナを吸うサドゥー(修行僧)。彼らにとってマリファナは宗教的な道具らしい。限界まで煙を吸い込んで、プハーっと吐き出すその姿はなんかかっこよかった。






↑笛を吹いてコブラを操る人。パフォーマンス終わった瞬間、チップ要求。笑






詐欺師の数も絶好調で、歩いているとなにかと声をかけられる。

多いのが「僕の兄の嫁が日本人です。だから僕は少し日本語喋れます。お土産どう?ぼったくりじゃないよ!僕、ぼったくり大嫌い!」ってパターン。

このセリフを言う奴、4人いました。笑  弟何人いるんだよ。

あと、「長澤まさみに会ったことある。写真も撮ったし、サインもあるよ。家に見に来ない?」って奴もいたな、2人くらい。笑


まあ、全部てきとーにあしらいました。
大抵のインド人は「ヘーイ!ジャパニーズ!元気か?」って話しかけてくるから、
「(無表情で目を見つめて)ナット ジャパニーズ。アイム フロム カンボディア。」
って言ったら、「オウ…」と言って遠ざかります。

あいつらからしたらカンボジアなんて知らないから詐欺に引き込みにくいんでしょう。

なぜカンボジアって名乗るのかって?カンボジア人に「君はカンボジア人のような顔をしている」って言われたからさ。笑  チベット人とも言われたけどね。






日が落ちてくる頃、せっかくだから対岸に行ってバラナシの町を見てみようってことでボートに乗った。
ベテランの船頭さん。絵になるぜ!




↑船頭と俺






そして、対岸に到着!さっそく対岸からバラナシの町を眺める。
多数のガートが並び、そこに座り込む人、沐浴をする人、牛、そしてすぐそばには聖なる河ガンガー。ゴチャゴチャしてるけど、インドらしい町だ。好きだなーこの風景。



よし、このすばらしい風景を写真に収めよう。この神聖なかんじ、伝わるかなー?













ああ、やっぱり写真は難しい。夕暮れ時ってこともあってなかなかうまく撮れない。







…ん?よく見たら人が写ってるぞ。しかもしゃがんでる。なにしてるんだ?



ま、まさか…













こいつら、○○○してらっしゃるんじゃないか?









では、さっきの写真をもう一度見てみよう…


































…おわかりいただけただろうか?











写真右下にうずくまる二人の男、よく見てみるとズボンを下げている。



















そう、野グソをしてらっしゃる最中なのである。笑
















ああー





なんてこったー。




















ああ…聖なる風景を写したくてシャッターを切ったらこんな地獄絵図が。(泣)

誰も幸せになれない恐怖写真である。











こうやって場所も選ばずウンコしてるからこの町は臭いんだよ!
服にちょっと匂いがついてるじゃねーか!責任取れや!!


と、罵倒してやりたい気持ちにかられたけど、野グソ現場をフライデーされてる彼らに同情してやめておいた。笑







いやいや、こういうところもやっぱりインドらしいなー。と感じる今日この頃。
バラナシは死を感じることができるし、そこに住む人たちから必死に生きる生のパワーを感じることもできる素敵な町です。(ウンコ臭いけど。)
ぜひ一度訪れてみてください♪




体がだんだんインドに慣れてきました。
しかし、絶対に住みたくはありません。笑


もうそろそろ帰沖!旅ブログも残すところあと2回かな?
がんばって更新します!それではー!

  


Posted by shinzatosun at 15:43Comments(4)

2012年02月26日

インドの列車

どうも~!!!!




ごらんの通り、定員オーバーです。

3人しか乗れないはずのリクシャーに、20人くらい乗ってました。
ちなみに走行速度80km。上に座ってる人は怖くないのか??


というわけでインドは今日もめちゃくちゃです。





今日はインドの列車について話しましょう・・・


インドの列車は日本とぜんぜん違います。
大阪や東京で電車を乗りこなし、迷うことなく目的地までスイスイ行けちゃう僕(←それが普通)でも、まったく油断できません。
列車を降りるそのときまで、まったく気が抜けないんです・・・










まず、列車の到着時間!

沖縄にはうちなータイムがありますよね?インドにもあるんですよ。次元が違うヤツが(泣)。
1、2時間の遅れは当たり前。むしろ2時間以内に列車が来れば「お!ラッキー♪」みたいなかんじ。


僕は2回寝台列車を利用したんですけど、最初が1時間半、2回目が2時間半遅れました。

僕の1週間前くらいに同じ路線を利用した人は、15時間遅れだったってさ。笑


いや、それもう日付変わってますやん!!笑
夕方18時の列車に乗る予定が、列車が遅れて翌日の朝9時にしか乗れなかったって、もはやギャグだよね。





そしてこの到着時間に加えて、いっそう気が抜けないのが頻繁に変更になるプラットホーム!
駅の掲示板にプラットホームが表示されてるんだけど、いきなり変更になったりすることもあるわけですよ。

プラットホーム1で待ってて、5に変更になったのに気付かずにそのまま待ち続ける・・・
しかもインドの列車は遅れると聞いてるから、いつまでもいつまでも待ち続ける・・・

なんていう悪夢も十分ありえるわけです。


これを回避するためには、駅のアナウンスをよく聞くこと!
変更になった場合はアナウンスで知らせてくれます。ヒンドゥー語と英語のアナウンスで。
これを必死に聞き取り、ホームはここであってるのか確認する必要があるわけです。

僕は1回ホーム変更があったけどちゃんと聞き取れて大丈夫でした。
今まで中・高でやってきたリスニングがここで活かされた気がしないでもない。笑





気の抜けない理由、まだあります。列車がわかりづらい!
列車番号とかはあるんだけど、本当見えづらいし表示がわかりにくいんですよ。

だから列車が到着するたびに周りの乗客に「この列車であってますか?」って聞いてた。


あと、列車の長さがハンパじゃないのでホームの長さもハンパじゃない。
ポジショニングを間違ったら、自分の車両を探してホームを全力ダッシュすることになります。
それも、「この車両はどのへんに停まりますか?」ってあらかじめ聞いとけばいちおう大丈夫!






まだあります。笑
ホームに「○○駅」というちゃんとした表示がない、到着アナウンスもないので、どこで降りたらいいかわからない。

これ本当困る。頼りになるのは周りのインド人だけ。自分の行き先を伝えて、その駅に着いたら教えてほしいと頼む。
これしか確実な方法はありません。窓際に座ってたらホームの小さい看板とか見えて判断できるかもしれないけど、寝台の上の座席とかだったら絶対無理なのでインド人を頼るしかないです。

ちなみに一回、これでインド人に騙されかけました。

「おまえらが降りる席はまだまだ先だよ。それより話そうぜ!」

ってやけに口調が強引だったし怪しい臭いがぷんぷんしたから、窓からホームを凝視したら、売店の看板に小さく駅の名前を発見!

「ここじゃねーか!バイバイ!」

と間一髪乗り過ごしを回避することができました。たぶんあのまま乗ってたら奴等の家なんかに行くはめになってたんだろうな。





そして、最後の難関。
もうこれが一番めんどくさい!

自分の指定席のはずなのに、なぜかインド人がそこに座っていること!!笑


最初の寝台、僕は3段寝台の2番目でした。
寝台はこんなかんじで、昼は3人掛けイス×2で6人席、夜になると3段寝台×2で6人寝台。




日本人の女性旅行者2人組と同じボックスで、彼女達は一番下の寝台でした。
ホームから列車に乗り込み、席にたどり着くと・・・




すでに8人いる。笑


いやいやおかしいでしょ。絶対誰かがズルしてるでしょ。6人席ですよここ?
しかも基本的に外国人は外国人で固まるらしいからさ。韓国人3人、日本人3人いるよ?




お互いにチケットを見せ合う。いや、犯人はわかってる。





そこのインド人男女!犯人はおまえらだよ!!笑






追求されてもあさっての方向を見てシラをきる。
うわーめんどくせー・・・


とにかくこいつらを無視して、寝台をセッティングして各自自分の席に移動。



そして日本人女の子二人の席にインド人がひとりずつ着席。←おい!!


この子たちももう諦めてたのか、「もういいや」ってかんじでした。




この寝台、ただでさえ狭いのにインド人が座ってる分スペースがなく、この子達は結局足を曲げて寝てました・・・。






インド人、許せない!!

怒りに燃える僕は起床したときにインド人に話しかけました。




「なぜそこに座っているの?そこは彼女達の席だろ?」

インド人「僕らはチケットのキャンセル待ちだったんだ。結局、キャンセルでなかったけど乗っちゃって、席がないんだ。仕方ないよ。」



どーん!!!!





いや、言い訳になってねえし、筋が通ってねえ・・・



インドおそるべし。笑


つまり、不正乗車じゃん。こいつはダメだー・・・
てか、車掌はなにやってんだよ!こいつらタダ乗りだぞ!



と思ってムカついたけど、そんな僕をよそ目に彼は日本に興味津々らしく、いろいろ聞いてきた。

インド人「僕はエンジニアなんだ。今日故郷に帰るところ。日本の技術は素晴らしいよ。ペラペラペラ・・・」



なんだかんだで1時間近く話してしまい、ちょっと意気投合してしまった。笑


「あ、そうだ!降りる駅教えてよ!わからないんだ。」

インド人「お安い御用さ。教えてあげるよ!Facebookやってる?交換しようよ!」


降りる駅もちゃんと教えてもらい、Facebookで繋がることもできた。





なんか終わりよければすべてよしみたいな流れだけど、いい人か悪い人かといったら、彼は悪い人です。笑



インドではああいうのが普通なのかな?困ってるんだったら俺の席座れよ♪っていう助け合い。それにしちゃ堂々としてたけど。


インド人のこの「適当さ」は沖縄とどこか似ているところがあるかもしれない。
図々しさはインドのほうが何倍も上だけどね!


みなさんも、インドで列車に乗る際はくれぐれもお気をつけください・・・
一瞬たりとも気が抜けませんよ!笑




↑列車の中でパフォーマンスをして、お金をせびってくる少年。





もうインドに慣れてきました。食べ物は道が汚い、臭い、人がギャグ、全部気になりません!料理は美味しいし♪




次はもっともインドを感じた町について書きます!



それでは!  


Posted by shinzatosun at 23:17Comments(6)

2012年02月26日

タージ・マハル、まさる

こんばんはー!

今日本は午前4時ですね。
ここ、インドはまだ0時30分です!

帰国も迫ってきてるのでリアルタイムに追いつけるよう、ハイペースで更新します!だから夜中でも関係なし!




先日、インドが誇る世界遺産、タージ・マハルに行ってきました♪

みなさんもよく知ってる、白いタマネギみたいなやつです。

マハル(宮殿)という名前がついているので宮殿と思われがちですが、この建物は宮殿ではなく、たった一人のために作られた巨大な墓なんです。
今日はそのへんについてお話します!




その昔、インドにシャー・ジャハーンという皇帝がいました。彼にはムムターズ王妃という奥さんがいました。

シャー・ジャハーンはムムターズが大好きでした。それはそれは大好きでした。もう、メロメロでした。
初恋のときの中学生のように、ムムターズを愛し、ムムターズしか見えていませんでした。愛しまくりました。

そんなある日、最愛のムムターズが亡くなってしまいます。



「えっ?ちょっ・・・ ホンマに? マジか・・・ あかん。この世の終わりや~」



シャー・ジャハーンは嘆きました。ものすごく悲しみました。ダウン寸前でした。


しかしそこでシャー・ジャハーンは思いつきます。
「ムムターズのために、世界一の墓を作ろう!世界一美しい妻のために、墓も世界一のものを・・・」


シャー・ジャハーンは国中から優れた職人を集め、世界各地から貴石を集め、墓の建設に取り掛かりました。

・・・こうして22年の歳月と、天文学的な費用をかけて、1653年にタージ・マハルは完成しました。
青空に映える白大理石は圧巻の美しさ。まさしく世界一の墓が出来上がりました。


しかし、タージ・マハルの建設に力を入れすぎた結果、国の財政は破綻し、国民の生活は苦しくなりました。


その結果、シャー・ジャハーンは息子によって皇帝の座から引きずり下ろされ、幽閉されてしまいました。
タージ・マハルと川をはさんだ対岸に、自分の墓である「黒いタージ・マハル」を作ろうとしていたとのことですが真偽のほどは定かではありません。

彼は幽閉されたまま、孤独にその生涯を閉じました。
死後、彼は最愛の妻ムムターズの横に葬られ、今ふたりは仲良く眠っています。・・・観光客に見守られながら。





というのがこのお話。一見ロマンチックですが、お墓のために国を危険な目にさらしたこの皇帝はなかなかアホだと思う。笑

しかも一説によると、タージ・マハルが完成したあとに、職人さんたちの親指を切断したんだって!
理由は「この世にタージ・マハルと同じような美しい建物を作らせなくするため」ってさ。クレイジー!笑



そんな世界遺産、タージ・マハルにいってきましたよー!

まずびっくりしたのがね、入場料!
外国人料金が750ルピー(約1500円)もするわけですよ。これは高すぎる!まさか、ぼったくり?と思ったけど正規料金なんだって。

けど750ルピーは高いでしょ~。東京から九州くらいまでの距離の寝台列車が300ルピーくらいなのに。
じゃあ、インド人料金はいくらなんだよ?と思ってチケットカウンター覗いてみたら、




20ルピー(約40円)でした。笑  なにこの違い… 俺らインド人の40倍近く払ってんじゃん 笑





まあ気にせず入場!


例のごとく、ぜんぜん期待してなかった僕ですが、タージ・マハルを目の前にした瞬間、感動しました。
タージさんすいません。なめてました。





これはかなり綺麗!美しすぎて見とれてしまうほど!
世界遺産の選考委員も2秒で決めたはずよこれは。

「タージ?どうせショぼいだろ… インド人が作ったのなんてさ、たかが知れてるよ、どれ見せてごらん?(チラッ)うん、世界遺産決定。最高!フォー!!!」

ってなるはず。笑  そんぐらい綺麗!





近くまで行って見とれたり、写真撮ったり、大理石触ったりしてたけどぜんぜん飽きない!う、美しすぎる・・・

たぶん、ムムターズは相当な美人だったんだろうな~ 新垣結衣とか佐々木希とかそんなかんじだろうな~・・・





だとしたらわかる。わかるぞ、シャー・ジャハーン!むしろあと3つぐらい建てちゃいましょう!!笑









ちなみに気になってムムターズを調べてみたらこんなんでした。






シャー・ジャハーン・・・ 貴様が犯した罪は大きい。







とかそんなくだらないことを考えながら眺めていると、



「ヘイ、フレンド!写真撮ってやろうか?」


と、インド人の若者グループに声をかけられた。

あ、そういえばまだ写真撮ってないや。ここはお願いしよう!



とりあえずピースをしてみる。しかしここでインド人が



「ピースじゃなくてさ、タージのてっぺんを掴むようなポーズにしてくれよ!ほら、周りのみんなもやってるだろ?」



言われてみれば、周りはみんなタージのてっぺんを掴むようなポーズをとっている。遠近法で、写真で見たら自分がタージを掴んで持ち上げているように見えるのだろう。
ここは、インド人っぽく、そのポーズで写ってみるか!そして僕はポーズを撮った。


「そうそう、その位置でいいよ!いいねいいね~!最高だ!はい、ポーズ!(カシャ)」



俺「ありがとう!君たちも撮ってあげるよ♪」


彼らはカメラのバッテリーが切れてて写真が撮れなかったらしい。写真を撮ってあげた。



陽気な奴等である。ただ、サングラスやペンをパクろうとしてたけど。笑




その後、タージを後にして帰ろうとしたらなんと偶然、のぞみさんと再会!
彼女とはデリーの空港で会って以来、2日間行動を共にして、
列車のチケットの手配やオススメのポイントを教えてもらったりしてかなりお世話になっていたのだ。
昨晩に別れ、それぞれ別々のポイントへ向かうところでの偶然の再会だった。


このお方は、インドの旅での一番の恩人だ。この後世界一周をするらしい。かっこよすぎる!



最後に写真を撮ってもらい、次なる目的地、バラナシへ向かった。




↑ミスバックパッカー選手権日本代表(俺が勝手にそう思ってる)笑、のぞみさんとの写真




俺「写真、ありがとうございます!それでは、よい旅を!」



のぞみさんと別れ、今撮影した写真を見た。そして思った。



あ、そういえばタージで撮った写真まだ見てないや。うまく撮れてるかな?
インド人の若者が「いいね~、そのポーズ。いいよいいよ~」と褒めまくってたからきっと大丈夫だろう。



いちおう、確認してみるか。




















・・・インド人、てめえコノヤロウ(猪木風)。






意味不明なポーズになってるじゃねーか!
馬鹿すぎるだろこの写真。笑



ははは・・・
もはや笑うしかない。笑
マレーシアのツインタワーの写真よりも残念である。(泣)






インド人に小馬鹿にされ、悔しい思いを引きずりつつも、次の町、バラナシに向かいます。




リアルタイムではもうインド出国間近なんだけどね。笑

明日も更新します!!1日2回ペースの更新になりますね~。旅も終盤なので、よかったらチェックしてください♪
それでは~  


Posted by shinzatosun at 04:35Comments(7)

2012年02月24日

インド人の10人中9人は・・・

どうもどうもー!

インド、ネット環境がなかなかないんで更新するのも一苦労です!


念願のインドに到着した僕。

この日は友達の友達、インド人のDeepak(ディーパック)と会うことに!
ディーパックは大学で日本語を学んでいて、めっちゃペラペラです。

電話で話したけど、日本人なんじゃないの?って思ってしまうほど日本語堪能!


ディーパックが言うには、「615番のバスに乗れば、僕のいる大学につきます。学生寮に来てください」
らしい。「オッケーオッケー♪!」ってアホみたいに軽ーく返事したけど、外に出て気付いた。




・・・バス停ってどこだ?道はこっち側か?あっち側か?
そもそもその大学まで距離はどのくらいだ?お金はいくらかかるんだ?

なにも考えずに軽く返事してしまった。「なんとかなる」って日本ではよく思ってたけど、インドではなんとかならない気がする・・・



「インド人には気をつけて。奴らは詐欺のプロです。10人中9人は悪人だと思ってください・・・」




今まで出会った旅人や、インド旅行記の本、ガイドブックの文章が頭をよぎる。




いや、もうやるしかない!騙されても、それはネタだ!騙されたことをおもしろく話せるじゃないか!
覚悟を決め、とりあえず大通りに出る。まずはバス停を探さなきゃ!




近くにいたおじさんに声をかける。「○○○大学に行きたいんですけど、バス停はどこですか?」

おじさん「その大学はここからだいぶ遠いよ。バス停はこの方向をずーっと歩いたところだ。」

おじさんに礼を言い、歩き出す。10分ほど歩いたが、どこにもバス停は見えない。



・・・まさか、騙されたのか?騙されてたらどうしよう、と途方にくれていたそのとき、若い兄ちゃんが声をかけてきた。




若造「ヘーイ!どうしたどうした?迷ってるのか?」


怪しすぎる。この気安く話しかけてくるかんじ、やけにフレンドリーなその態度。怪しい!!
いちおうバス停への道を聞いてみる。



若造「あー、この大学か!これは遠いぞ。電車がオススメだけど、バスで行くならあっちにバス停があるよ!まっすぐ進んで右、消防署の隣のバス停だ。」

俺「教えてくれてありがとう!」



・・・さあ、くるか?
ところでお土産とか探してるんじゃないのか?とか、実は日本語を勉強しているんだ、少しでいいから話そうぜ!おごるからさ!とか言ってくるんじゃないのか?



若造「いいっていいって!気にすんなよ!無事に着くといいな!それじゃ!」





・・・あれ?なにもない。しかも教えられたとおり進んだらバス停発見!
なんだ、いい奴だったんだ…。
最初のおじさんも本当のこと言ってたんだな。ここで少しインド人を見直した←上から目線 笑




まもなくバスが到着し、勢いよく乗り込んだ。
さて、乗ったのはいいけど、どこで降りるか、いくらかかるか、時間はどのくらいかかるか、確認しなきゃな・・・


乗務員がいたので聞いてみた。


この乗務員、ガム噛んでるし目つきが怖い。笑
けどこの人に頼るしかない!


俺「あ、あの・・・この大学に行きたいんですけど・・・」

乗務員「ん?ああ、このバスだ。1時間くらいだな。料金は15ルピー(約30円)だ。」

俺「安っ!笑 ありがとうございます。えっと・・・どこで降りたらいいんでしょうか?」

乗務員「ああ、わからないのか。よし、俺の隣に座りな。着いたら教えてやるから。」



ああ、なんていい人なんだ・・・。やっぱり、見た目で人を判断しちゃいけないよな。

感動に打ち震えていた俺に、乗務員が声をかけた。



乗務員「ところで、おまえの友達はバス停で待ってくれているのか?この大学は途方もなく広いぞ。絶対迷うぞ。」

俺「え?そうなんですか?それは困るな・・・ もう夜になってるしな・・・」

乗務員「・・・電話持ってるか?友達の電話番号知ってるか?」

俺「友達の電話番号なら知ってます!」

乗務員「よし、俺が電話をかけてやるよ。(電話をかける)ハロー!君の友達のジャパニーズが今バスに乗ってる。あと10分くらいで着くからバス停で待っていてくれないか?・・・(電話をきる)これでオーケーだ。」

俺「あ、あ、ありがとうございます!←感涙」




その後無事に大学に到着し、乗務員はなんのお礼も要求せずにウインクだけをして去っていきました・・・




・・・おい、

インド人。めっちゃええ人やんけー!話が違うぞ!!!




乗務員の優しさに感動していた俺。ディーパックと無事会うこともできた。



↑右がディーパック。




直接会って話してやっぱり思った。日本語上手すぎ!笑



だってさ、東野圭吾とか読んでるし、源氏物語とかも勉強してるんだぜ?そこらへんの中学生よりよっぽど日本語上手かったです!




ディーパック「褒めてくれてありがとうございます。けど、現状の自分のレベルに満足していてはダメです。なぜなら、学問に終わりはないのだから・・・。日本語は奥が深い。もっともっと頑張ります。」


これ、ディーパックの言葉ね!すごくない?笑
こんなこと言うインド人、見たことない!!




日本について、インドについていろいろ話をした。いや~本当勉強になりました!



あとに、その大学の食堂に行って夜ご飯♪



ここの食堂のカレーとナンはめちゃくちゃ美味かった!!沖縄に開業して欲しいくらい!




↑ディーパックとディーパックの彼女と。




「今日は寮に泊まっていけよ!明日もいろいろ見せたいものがあるんだ!」
とディーパックは言ってくれたけど、残念ながら明日の朝にはもうデリーを出発することになっていたのでここでお別れ。



バス停まで送ってくれて、寒かったから上着も貸してくれて・・・
ものすごく優しかったです。


バス停でも今流行っている音楽のこと、ディーパックの彼女のこと、いろいろ話した。
そうこうしているうちに遠くから車のライトが見え、バスが来た!最終のバスだ。




ディーパック「それじゃあこれでお別れですね。また絶対デリーに来てください!ちゃんと帰れますか?」

俺「来た道だからたぶん大丈夫・・・わからなかったら人に聞くよ。ありがとう!それじゃあ、また!」



最後まで、俺がちゃんと宿まで帰れるかを心配してくれた。なんていい奴なんだ。
正直、ちゃんと帰れるか不安だったけど。なんとかなるだろう!!





さよならの握手をし、バスに乗り込む。ふと顔を上げると、なんとあの乗務員が!!!




乗務員「また会ったな。このバスは周回コースだからな。最初に乗ったバス停で降りるのか?降りるとこ教えてやるよ」

俺「あ、あ、ありがとう!!!」




そのあと、このバスはバス停を無視してまで、俺が泊まってる宿のすぐ前の通りまで行って降ろしてくれた。

最後の最後まで、本当にいい人たちだった。




訂正します!


インド人の10人中9人は悪人←×
インド人の10人中9人は善人←○



人に優しくされたとき
自分の小ささを知りました






インド大好きになっちゃったじゃないかこのやろー!  


Posted by shinzatosun at 15:43Comments(9)

2012年02月22日

ナマステー 

こんばんはー!

みなさんブログの記事にたくさん反応をくれてありがとうございます!

かなり嬉しいです!旅が終わるまでちょくちょく書き続けます!もっと軽いかんじのやつも書きます!笑



さて、僕はあのあとカンボジアを離れて、ついにこの地にやってきました。











そう、インドです!!!




「ぼったくりや詐欺が多い」「とにかく汚い、臭い」「下痢がやばい」

と悪名高いインド。



インドは不思議な国で、
ある人は「インドは最高。絶対にまた行きたい!!」と言い、またある人は「もう死んでも行きたくない」と言います。


野良牛がいる、町を歩けば詐欺師だらけ、そしてウンコだらけ。

まさにカオスな国!



詐欺師の品質(巧妙さ・しつこさ・数)にかけては世界一のインド。
当然、警戒しなければいけません。

ガイドブックを見ると、
○声をかけてくるインド人を簡単に信用しないように。詐欺師の可能性が高い。
○道を聞いて親切に教えてくれたとしても教えてくれた答えがあってるとは限らない。複数の人に聞こう。
○食べ物には常に気をつけよう。インドの下痢は強烈!まあほとんどの人がほぼ下痢になるのだが。
○もし食べ物や飲み物をもらっても飲まないように。睡眠薬が入っており、気付いたら持ち物がすべてなくなっていることもある。
○列車は遅れる。1時間2時間の遅れは当たり前。
○タクシーに乗ったら、必ずモメることになる。(料金をつりあげたり、自分が契約してる土産物屋や宿に連れていかれる)
○そこらじゅうで麻薬を売っているから買わないように。


などなどの注意をあおることが書いてある。デンジャー!!



まずさ、
「空港に着いたのが夜遅かったら、外で待ち構えているタクシーには乗らずに、空港で一泊したほうがいい。乗ってしまうと100%トラブルに巻き込まれる。」



っていうのがウケる。笑
ガイドブックが空港に泊まるのを薦めるってなかなかないでしょ。



旅先で会った旅人達も、「インド人はマジありえないっす」「あいつらは10人中9人は悪人と思ったほうがいいっす」
て言ってた。どうやらやばい国であることは間違いないようです。




思えば今までのぼったくりはインドにむけてのウォーミングアップだったんでしょう。

「インド人には騙されない!かかってこいや詐欺師軍団!」
飛行機の中で気合を入れなおしました。




インドのニューデリー空港につき、一人の日本人女性がいたので声をかけた。

このお方、インドには来たことがあるらしい。
一人では心細かったので、街までいっしょに行くことになった。

この出会いはかなり大きかった。インドでの恩人ナンバーワンは間違いなくこの人。




タクシーを利用して、彼女が予約してある宿へ・・・

到着したあと、やっぱりモメた。笑
空港の入場料があるからそれ払えとか言ってくる。宿の主人に確認したらそんなのはないから払わなくてもいいよとのこと。



けどこの運転手がマジでしつこく宿のフロントに居座ったので、しかたないから払って帰らせることになった。あとで確認したら、それだけじゃなくて、空港からこっちまでの料金も普通にぼったくられてました。笑

プリペイドタクシーの係員に確認したのに・・・。係員もグルでぼったくってます。あー怖い。






で、俺はその宿には泊まらず、もう少しランクの低い宿へ。
外を少し歩くとリクシャー(インドのバイクタクシーのこと)が次々と声をかけてくる。


「ヘーイ、フレンド!!どこ行くんだい?」



こんなおっさんとフレンドになったつもりはないんだけど。まったくもって図々しい。笑



正直言って歩く気力もなかったし、土地勘もないので宿までをリクシャーにまかせることに。
あらかじめチェックしていた宿の名前を言うと、70ルピーだ!と言う。とりあえず値引きして、50ルピーでOK!
(1ルピーは約1.8円)

↑ちなみにこの時は相場知らなかったんだけど、この50ルピーもクソ高い。(怒)






しばらく走っても一向に着く気配なし。ってか、こいつ・・・






宿の場所知らないな。笑






完全に宿を探しながら走ってる。いやいや、最初に知ってるって言ってましたやん!!←関西弁




わからないなら周りの人に聞いてでも行けと言い、多数の人に聞き込みを行った結果、なんとか宿まで到着!

さて料金交渉。



運転手「はー、やっと着いた!長い間、ここまでけっこう走ったから50ルピーじゃダメだな。100ルピーだ!!」

「は?わからないのに乗せたあんたが悪いんだろーが!50以外は払わないぞこのやろー!」

運転手「いや、ダメだ。絶対に100払ってもらうぞ。」




この時点でイライラは頂点。笑
けどここでまたモメたらチェックインがだいぶ遅くなるので怒りを鎮め、


「またまたー!おもしろいこと言うねー!ユーアーファニー!ナイスジョーク!はいっ!(50ルピーを渡す)」



肩を軽く叩きながら金を握らせ、無理やり握手をしてその場を立ち去りました。笑

うしろでなんか怒鳴ってるけど、無視無視!相手にする時間が無駄です





そのあともまた宿の人とモメたり、
(チェックインを1時間くらい待たされ、なぜか待っている間ホテルスタッフのインド歌謡の熱唱を聞かされる)

部屋に入るのにめっちゃ時間かかったり・・・
(料金確認しても話をはぐらかしたり、何回か部屋に入ってこようとしたり)

めんどくさかったけどなんとか無事に宿の確保に成功!


疲れてたのでぐっすり眠りました!とりあえず、一日目は無事だった・・・笑。





↑これが宿。ネットで調べた場所とぜんぜん違う。笑 めっちゃ路地裏。




日本だったら、
空港到着→タクシーに乗ってホテルへ→就寝っていうスムーズな流れなのに

インドだったら
空港到着→(鬼のような客引きを必死で回避)→タクシーに乗ってホテルへ→(違う宿に向かうor場所知らない)→(モメる)→ホテル到着、チェックイン→(モメる)→問題解決→就寝



っていう流れ!非常ーにめんどくさい。笑






ちなみに、

俺は無事だったけど、この日にトラブルにあってる人めちゃくちゃたくさんいました。



タクシーに乗り、予約してある宿に行こうとしたら
「あの宿はもう閉店したぞ?知らないのか?」
と言われ、別のちょっと高い宿につれていかれた、とか。


途中で降りようとしたら野犬がめっちゃいるところにおろされそうになったとか


インド初めてだって言ったら旅行会社につれていかれて、めちゃくちゃ高いツアーを組まされたり(日本の感覚で言うと普通の値段かもしれないけど、インドだったらありえないくらい高い。)


駅にチケット買いに行ったら係員(の格好をした偽者)に、今日の列車は売り切れだ。そこの旅行会社でチケットを発行してもらいなさい。あっちは政府公認だから安心だ。と言って高額な手数料取られたり。



みなさん強烈に騙されてました。笑
インドおそるべし!!




純粋な人はぜったい騙されるから注意してね!



↑ちなみにこんな奴らです。笑





次はデリーでのことを書こうと思います!


リアルタイムに追いつくために、ハイペースで記事更新しますねー!
  


Posted by shinzatosun at 14:43Comments(7)

2012年02月19日

Where is the love?

こんにちは!おひさしぶりです。最近はネット環境がなくて更新できませんでした・・・


先日カンボジアで感じたこと、俺が日記に書いたことをそのまま記事にしようと思います。

ブログ用に書き直したりせず、文体とかも気にしないで書く。本当に、ありのままの気持ちを書く。
読んでくれたら嬉しいです!



昨日、カンボジアの「負の遺産」、キリングフィールドとトゥール・スレーン博物館に行ってきた。
一番行きたかった場所。



「地雷博物館」のときも話したけど、カンボジアでは1970年代に戦争がおきて国がボロボロになった。


そしてそのときに起こった悲劇がポルポトの恐怖政治



独裁者ポルポトは、自分の理想である「真の共産主義」を実現させるために、次々と人を殺した。

まず、敵対してた政治党の奴らは殺された。その家族も皆殺された。

次に、クーデターや民主革命を起こさないようにする予防策として、教師や弁護士などの文化人(教育を受けたもの)、あらゆる技術者が全員殺された。


ハーフや海外に留学経験があるもの、読み書きができるもの、時にはメガネをかけているというただそれだけの理由で殺された人もいたらしい。


「反逆するかもしれない」

これだけの理由で殺された。無実なのに。



ポルポトの狂気はまだ続く。


戦争が続き、国内の食糧生産率が下がってくると、ポルポトは都市に住む人たちを強制的に農村に連行し、労働を強いた。

ありえないくらいの重労働。満足に働けない奴は殺された。老若男女、子どもでも関係なく殺された。

そうしてできたわずかな食糧も、中国に売りさばき、戦争のための資金とされた。



ポルポトが支配していた3年間で、カンボジア国民の3分の1が死んでしまったんだって。



その後ポルポトは政権を追われて、いちおうこの大虐殺は終わったんだけど、
それから内戦が勃発して地雷の問題とかが出てくるわけです。



で、昨日行ったキリングフィールドとトゥール・スレーン博物館はこの虐殺の現場。

これは行くしかない!と思って行ってきた。




トゥール・スレーンはもともと学校だった建物を、監獄として使っていたもので、「一度収容されると生きては帰れない」建物だったそうだ。


↑この金網は脱獄防止ではなく、「自殺防止」のものだそうだ。ひどい拷問に耐えかねて、飛び降り自殺者が後を絶たなかったから設置されたらしい。3階まで金網でびっしり。




ここでは、わかっているだけでも2万人の人々が拷問され、処刑された。
その中には2000人の子どもも含まれていた。(家族全員皆殺しのため)
生き残ったのはわずかに8人・・・ 地獄のようなところだ。


↑ただでさえ狭いスペースなのに鎖でつながれ自由がなかった。





まず、政府に反乱する疑いのある人物を収容する。(教師や技術者など。ほとんどが無実。その家族もみんな収容。)

残虐な拷問にかけ、自白させる。(死ぬより辛い拷問。死んだほうがマシで、自殺者が多数だった。)

その際に、他にもスパイの疑いのある者を無理やり白状させられる。(今度はその人が捕まる。)

処刑。(その後、また次のターゲットへ・・・)



この流れの悪循環。次々と人が殺された。


拷問のやり方が本当にむごくて、
手足を拘束して水責めとか、爪や皮膚をはぐとか、刃物で切り刻むとか・・・まだまだひどいのもたくさんあった。



博物館には犠牲者の写真、当時の様子が描かれた絵、拷問に使われた道具なんかがあるんだけど

何気なく床や壁に残ってる血痕や、衣服なんかが本当に衝撃で、思わず息を呑んだ。




犠牲者の写真もやばかった。拷問前に取られた写真なんだけど、みんな無表情。
当然だよな。これから殺されるってことがわかってるんだから。


一枚一枚写真を見てると、みんながこっちを見ている気がして怖かった・・・

↑本当怖かったから、近づいて撮れなかった。こんなの初めて。



沖縄でこういう施設はたくさん行ってるけど、初めて頭が痛くなったし、犠牲者の写真が展示されてるとこなんか鳥肌が止まらなかった。


↑奥には黒板が見える。かつて学校だったなごり。虐殺現場となった今も黒板は残っている・・・



そして、キリング・フィールド。

トゥール・スレーンが収容者でいっぱいになって死体も処理しきれなくなったため、新しく処刑場として使われたのがここだ。


今は観光地化されており、たくさんの外国人が訪れている。日本語の音声ガイドもあり、この施設についてかなり深く知ることができる。



キリングフィールドからは9000体の遺体が回収された。
異臭がしたので地面を掘ってみたら死体がたくさん出てきたそうだ。

しかも埋葬とかいうものではなく、無造作に、穴に死体を投げ入れたかんじだったらしい。


周辺には、人骨や衣服が散らかっている。異様な雰囲気。


↑中央右にあるのが人骨。中央左下にある白くて小さいものは歯。



当時ここの存在は隠されていたため、夜に処刑が行われた。
処刑の方法もひどい。


音を出さないために、そして高価な銃弾を消費しないために、銃を使わずに木の棒やクワやオノを使って行われた。

銃のように一瞬では死なず、その分、苦しみが増えた。


これはキリングツリーと呼ばれる木。


赤ん坊や子どもも処刑するときに使った木で、頭をこの木の幹に思いっきりぶつけることで処刑したそうだ。
血のりや脳みそが幹にたくさんついていたとか。



まだ回収されていない遺体も残っている。本当に悲惨な、「負の遺産」。

慰霊塔には犠牲者の頭蓋骨が積み上げられている。


その真っ暗な目が、悲しみを訴えている気がした。






たった30年ちょっと前に、こんなことが行われていた。なんていうか、本当に信じられない。

言葉が出ないっていうのはこういう状態のことを言うんだろうな・・・


カンボジアでは考えさせられることが多いけど、もはやなにも考えられない。




涙なんか少しも出なかった。ただただ、衝撃を受けた。衝撃がでかすぎた。


「2度とこういう過ちは起こさせません」
こう誓うことしかできなかった。




宿に戻って、ベッドに横たわって、じっと考える。





ふと思った。




今もこの世界で戦争が行われている場所がある。差別や貧困、様々な問題がある。





目を覆いたくなるような出来事は現在進行形で起こってるんじゃないか?

本当に目を向けなければいけないのは、そっちのほうじゃないのか?

今も同じようなことが起きてるってのは、過去からなにも学んでないってことじゃないのか・・・?




そう。
今も世界では紛争や虐殺、貧困や差別がある。



俺達が知らないだけでさ。

テレビなんかじゃ報道されないひどいことだってたくさん起きてるはずなんだ。



アフリカの飢餓はいまだに深刻だし、戦争が行われている地域だって実際にある。
テロの脅威、少年兵、難民の増加、

そして、カンボジアの貧困・・・



今俺達が平和に暮らしてるこの瞬間にも、世界では誰かが苦しみながら死んでいる。







過去を振り返り、過ちを見つめ、この過ちを繰り返さないように誓う。これは誰でもできること。
っていうか、あんな場所に行ったら誰もがそう思うに決まってる。


過去を振り返るだけじゃなくて、現状を知らなきゃ!過ちを繰り返さないために、今ある問題に向き合わなきゃ。





やっぱ、まずは「知ること」が大事。
知って、あとはどう動くか。


これはその人次第。


募金とかボランティアとか、やり方はたくさんあると思う。




俺は、たくさん勉強して、今世界で起こっている問題をみんなに知らせたいと思う。
教師になっても、生徒に伝えていきたい。


俺なんかがひとりでどう動いても世界はきっと変わらないし、争いもなくならないだろう。

けど、動かないよりはマシだろ?知らないよりはマシだろう?




そんな考えが頭をめぐる。





ふと、曲を聴きたくなった。



The Black Eyed Peasの「Where is the love?」を聴く。




But if you only have love for your own race
(もし、自分と同じ人種しか愛せないというのなら)
Then you only leave space to discriminate
(差別することしかできなくなってしまう)
And to discriminate only generates hate
(差別することからは、憎しみしか生まれないのに)
And if you hatin you're bound to get irate
(そして、憎しみを感じた時に人は、イライラした感情を心に抱き)
Yeah madness is what you demonstrate
(狂ったような怒りだけを表現するようになってしまう)


If love and peace is so strong
(もし愛と平和がとても強いものなら)
Why are there pieces of love that don't belong
(なんでそこに愛のかけらもないのだろうか)
Nations droppin' bombs
(国家は爆弾を落とし、)
Chemical gasses fillin' lungs of little ones
(化学兵器が子供たちの肺を満たす)
With ongoin' sufferin' as the youth die young
(若者が死んだりというような苦しみが続いている)



*サビ
People killing, people dying
(人々は殺し合い、そして死んでいく)
Children hurtin, you hear them crying
(子供達は傷つけられ、その泣き声が聞こえる)
Can you practice what you preach
キリストの説教を実践する事はできる?
And would you turn the other cheek
(片方の頬を打たれたら)もう片方の頬を突き出せる?

Father, Father, Father help us
神、神、神よ私たちを救って下さい
Send some guidance from above
空の上から何か導きを送って下さい
'Cause people got me, got me questionin'
なぜならば人々は絶えず私に聞くのです


Where is the love......
(愛はどこへ行ってしまったのだろう・・・)



http://youtu.be/WpYeekQkAdc





やべー心にくる。



また泣きそう。カンボジアで何回泣いてんだ俺は。笑



けどやばい。
考えずにはいられない。




とにかく、過去から学んで、二度とこんな過ちがおきないようにしよう。

そして、
今この世界で現実に起こってることを把握しよう。まずは知ることからはじめよう。


動かなきゃ、なにも始まらない・・・。




もし一人ひとりが少しでも世界のために動くことができれば、世界は少しでも変わっていけると思う。

てか、変わっていってほしい!!


しっかり生きよう。世界から少しでも悲しみがなくなるように。


2012. 2/13(月) カンボジア、プノンペンにて






長々と書いてしまいました。

ブログ最長です。


文もめちゃくちゃで、読みづらかったと思います。すいませんm(_ _)m


けど、自分が感じたことをありのまま残すことができました。


Black Eyed Peasの「Where is the love?」。ものすごくいい歌詞です。
中学3年のときに何気なく聞いていたこの歌がこんなにメッセージが詰まっているとは思いませんでした。

この歌が発売された当時、アメリカがイラクに戦争をしかけ、イラク戦争が勃発。
それを痛烈に批判し、愛はどこにあるんだ?と問いかけてる歌です。

アーティストはこうでなくちゃいけないと思います。


これが歌詞の全訳リンク。よかったらどうぞ。

http://nonkiph.blogspot.in/2009/05/where-is-love-black-eyed-peas.html



愛はどこにあるのだろう・・・



みなさんも一度考えてみてください!!









笑顔が増えますように!



ONE WORLD!!  


Posted by shinzatosun at 21:53Comments(14)

2012年02月12日

地雷博物館

こんばんは!久しぶりの更新です!

今日は「地雷博物館」について書こうと思います。


かなり長いです。そして重いです。


けど、たくさんの人に読んでほしいし、知ってほしいです!!



先日、地雷博物館に行きました。アンコールワットから少し離れたとこにあるこの施設。





カンボジアでは1970年代にベトナム戦争に巻き込まれるかたちでクーデターが起こり、それをきっかけに国が崩壊。
ポルポトの恐怖政治(国民の3分の1を大虐殺)、さらにそれに対する紛争が起こり、たくさんの人が死にました。



それから30年あまり。
今もその威力を維持したまま人々の生活を脅かす兵器があります。

それが「地雷」です。



地雷には人用と戦車用があって、破壊力がぜんぜん違うんです。


戦車用を踏んだら即死だけど、人が通れないような道(戦車が通る道)に設置されるので人の被害はまだ少ないほう。
問題は人用の地雷。これの破壊力は足を片方吹っ飛ばすくらいの破壊力。死に至るケースよりも生き残るケースのほうが多い。


何故かというと、この地雷は「人を生かしながら苦痛を与えるため」に作られた兵器だから。



説明すると、


戦争のとき、お金がかかりますよね?兵器にしても食糧にしても、莫大なお金がかかるわけです。当然、怪我人の手当てにもお金がかかります。資金が底をつくと、兵器も買えない、食糧もない。資金が底をついたらピンチなんです。負けに直結します。


で、ここが重要。戦争で死んだ人の供養や埋葬にはお金はかからないんです。


つまり、相手を「殺す」よりも「死なない程度の重傷」を負わせて手当てをさせたほうが相手国にとっては有利な状況に持ち込めるわけです。




こうして、地雷は戦場に大量に埋められました。

殺すためではなく、死なない程度の重傷を負わせる兵器として。
激痛と、「こんな苦しい思いをするくらいなら、いっそ殺してくれ」という絶望感を与える兵器として・・・



加えて、地面に巧妙に埋められているために、どこにあるかがわからない。
発見するのも撤去するのもめちゃくちゃ手間がかかるし費用もかかる。




「最悪の兵器」。それが地雷です。




地雷はたくさんの人の手足、そして命を奪っていきました。



突然足が吹っ飛ぶという絶望感・・・
想像できますか?
俺はできません。考えるのも怖い。


目の前を歩いていた母親が地雷を踏んで爆発死したり、鬼ごっこをしてたら足が吹っ飛んだっていうのもあるらしい。




↑↑地雷注意の看板




この地雷博物館は元兵士のアキ・ラーさんによって建てられました。





名前が日本人っぽいからかわからんけど日本語も話せるそうです。笑






地雷博物館を建てたいきさつもまた衝撃。



彼は5歳のときに兵士に両親を目の前で殺され、そのまま軍に引き取られ、育ちました。
自分の両親の仇の一員になったわけです。


幼い頃から徹底的に人を殺す技術を叩き込まれ、おもちゃは銃やナイフだったそうです。
そんな彼は16歳の頃には一人で敵部隊を全滅できるほどの凄腕の兵士に成長していました。


当時は「ノーチョイス」。選択肢はなく、命令に従えなければ殺されるという世界でした。



彼はたくさんの敵兵を殺しました。やらなければ、やられるから。
地雷も大量に埋めました。
敵軍を倒すために。自分の命を守るために。



やがて戦争も終わり、彼はやっと自由になれました。
両親を殺された恨みを持っていた彼は開放を心の底から喜びました。



そんな彼の転機は、国連から地雷撤去を手伝ってくれないかとの要請があったことでした。

地雷撤去をする傍ら、様々な国の人との出会いで兵士以外の生き方があること、仕事を自由に選べることを知ります。



彼はこれまで地雷を3万個以上も処理してきたそうです。ものすごい数。



しかし、農村やジャングルに残る地雷は百万個とも二百万個ともいわれているそう。




彼は貧しい人や外国人にも地雷の悲惨さや現状を知ってもらおうと、自宅を改築し、地雷博物館を建てました。


もちろん入場料は無料。地雷撤去作業も無料で引き受けています。



見学者の寄付とアキ・ラーさんの収入だけで運営しているこの施設。博物館の裏手にはフリースクールがありました。
戦争孤児や地雷被害児を引き取って養育してるそうです。



↑こどもたち。




さすがに写真は撮れなかったけど、足がない子もいました。




本物の地雷や、マシンガンや手榴弾。そして被害者の写真が展示された博物館。(日本語の看板もあり)












本当、いろいろ考えさせられた。








だってさ、5歳のときに両親を殺されて、それからずっと自由がない生活で、
10年以上も、殺されるかもしれないっていう恐怖に脅えながら、人を殺し続けなきゃいけなかったなんて・・・



そんなのひどすぎるでしょ・・・



その間にも、空腹のあまり友達が豚の餌を盗んで殺されたり、生きるために小便を飲んだり、目の前で虐殺が行われてるのを見せられたり




まさに「地獄」を生きてきたんだと思います。






俺らが生きてきた時代とはまったく違う時代。
想像もつかない、恐ろしい時代。






アキ・ラーさんは多くを語らず、ただこう言うそうです。



「地雷をなくしたい。人のために生きたい。」





きっと、命令されてやったこととはいえ、昔自分が犯した罪のことに対しての後悔もあるんでしょう。望んでやったことではないとはいえ、人を殺してるんですから。

これからもずっと、彼の戦いは終わらないんです。






なんかわからんけど、涙が出そうになりました。




この人も被害者なんだよなーって。

辛い過去を引きずりながら、「人のために生きたい」って言ってんだなーって。


すげえな・・・って。





なんでなのか、カンボジアでは涙が勝手に出てきます。


なんなんだろうね、これは。わからない。






「現実を見る」という目標で旅に出た自分。




悲惨すぎる過去と、それが今も続いているという信じられない現実。それを目の当たりにすることができました。

辛すぎて目を背けたくなるときもあるし、なんか考えすぎて苦しくなるけど


現実から目を背けずに、いろいろと見ていきたいと思います。







最後に、またひとつ考えさせられることを。



現在カンボジアでは地雷除去さえも「ビジネス」になっており、地元の有力者が仕事として引き受けているそうです。

それに対してアキ・ラーさんは個人で引き受けて、無料でやってます。


つまり、なにが起こるのか。


それは、アキ・ラーさんに対しての妨害行為や、たくさんの嫌がらせです。
地雷撤去をビジネスとして見ている彼らからしたらボランティアでやってるアキ・ラーさんは邪魔者ですから。




本当に大切なのは人の命なのに。金のほうが大切なのかな。




そして、さらにあとひとつ。

日本からの地雷撤去の支援金(カンボジアの地雷撤去のためにご協力を!っていう募金のやつ)。

あれはアキ・ラーさんのところには1円も入っていません。
すべて有料で引き受ける団体のところに支給されているそうです。


支援金は増えれば増えるほど、アキ・ラーさんへの妨害は増すばかり。だって、莫大な金が手に入るのにボランティアでこういう活動をされたら、邪魔ですからね。

皮肉ですよね。
助けたいと思って募金したお金がこうなっているというのも、俺は衝撃でした。






長々と書きましたが、みなさんが考えるきっかけに少しでもなれたらいいなと思います。




どこまでも続く田舎道。笑顔と元気がいっぱいです。



それでは!  


Posted by shinzatosun at 22:24Comments(10)

2012年02月03日

アンコール!アンコール!!

ついに


ついに来た


小さい頃から憧れてた





アンコールワットに!!




思い返せば10年以上も前。
「世界ふしぎ発見」という番組が好きだった俺は初めてアンコールワットの特集を見て衝撃を受けた。




「ジャングルから発見された忘れられた王国の遺跡だって・・・? か、か、かっけー!!!!!そして黒柳徹子、正解率ハンパねー!!!」




・・・それ以来アンコールワットは憧れの地であり、いつかは行ってみたい場所であったのだ。




まあ、けど憧れてたっていっても、子どもの頃の話だし、最近の俺ときたらめったに感動しない性格になってしまったため、正直あんまり期待してなかった。(人には感動するが、景色や建築物にはあまり感動しない)


「昔から憧れてたし、やっぱカンボジアに来たんだったら行ってみよっかな、アンコールワット。」


っていうノリで行きました。







いや、なめてました。笑


すみませんでした。本当に。



いや~アンコールワットはすごかった。



あんな建築物を造るなんて、クメール人に「正気ですか?」って聞きたいくらいだ。






ここ最近のカンボジアは天気が悪く、ほぼ朝日は見れないとのことだったが、とりあえず朝に行くことにして、6時ごろに到着。

そしたらめっちゃたくさんの人、人、人!!



雰囲気ぶちこわしだけどそれもしょーがない。



だんだん空が明るくなってきたけどやはり天気が悪く、きれいな朝日は見えず。

けど空の色のコントラストがきれいだったからいいかな!






明るくなったら写真撮影タイム!周りの人がバシャバシャと写真を撮り始めた。



そこで、気になるオバサン発見。チャイニーズなんだけど、取ってるポーズが意味不明。





なんですかこれは。笑

何を表すポーズなのか。しかもいまいち決まらないらしく何回も微調整してました。

たぶん中国で流行のポーズなんでしょう。

まったくもって理解不能でした。




とりあえず俺も一枚。







よし、それじゃあ中に入ろう!



近寄れば近寄るほどわかるアンコールワットの美しさ。




いや~すごいな~

真ん中の、緑の色使いとか特にすごいな~

何百年前のものとは思えない鮮やかな緑色。すごいぜクメール人。




と思ったら修復作業のシートでした。(泣)

こんな正面に思いっきりあったら雰囲気ぶち壊しです





中もすごかった!仕事がマジで細かい!



こんな壁画とか



こんな廊下とか!



こんな彫刻とか!




しかもめっちゃすごいことに、この彫刻は当時実際にここにいた人をモデルに彫られたらしく、一体一体の顔が違うらしい!



すごすぎるだろ・・・





表情を真似してみたけどうまくいかず、神秘的どころかただの気持ち悪い人になりました。









中には仏像が何体か残されており、盗掘被害にもあったけど残ってるのもあるらしい。
けどだいたいの仏像には首がない。これはタイとの戦争のときに首を切られて持ち去られたんだそうだ。



悲しい歴史を象徴するかのような仏像。見るとそこには、線香があげられている。



横に立っている男が一言



「あなたも線香をあげてください。お金は要りません。」





そうだな。クメールの神様にも敬意を払わなければ。


線香をあげようとしたら、横にいたおばさんが先に受け取り、線香をあげた。


何かを祈るように線香をあげたおばさん。立ち上がったと同時に男が






「はい、それじゃあ神様に寄付をお願いします。」










でたーーーーーーー!!!!











この手口聞いたことある!なんやかんや言って寄付をもらおうとするやつ!




「うん。お金は要らないよ、けど寄付ならいいでしょ?」(ニカッ)





って、いいわけねーだろ!笑



最初から素直にお金ちょうだいと言えや!(言ってもあげないけど)




神様を金儲けに使うとは・・・とんでもない罰当たり野郎である。これでは仏像さんもかわいそうだ。




手前の茶色いのが罰当たり野郎。






しかし、見れば見るほど本当にすごい。
天井にも細かい模様の彫刻が施され、柱や橋の欄干まで、すべてが美しい。






ここで一日中ボーっとしたいなあ。
















アンコールワットは自信を持っておすすめできる遺跡でした。

本当、行ってよかった!

あんなの造った古代クメール人、
ムァジ、ゥリスペックツ(SAMI-T風に) ってかんじ。



↑↑
アンコールワットにアンコールをかけるジャパニーズ








カンボジア、エンジョイしてますよー!

早いもので帰国まで一ヶ月をきりました。みなさんお元気でしょうか?




次回はもうひとつのアンコール遺跡群と地雷博物館について書こうと思います!

読んでくれてありがとう!それでは~♪  


Posted by shinzatosun at 22:03Comments(13)

2012年02月01日

衝撃

今日はカンボジアにあるフリースクールに行ってきた

目的は、ボランティアをするため。



「人のためになにかをしたい」
俺にはこの思いがある。


できれば「人のために生きたい」のだけれど、それは無理だと思う。

人間は自分があって、他人があるものだから。



ただやっぱり、「人のために生きていたい」という思いがあるのも事実なわけで。


こんな俺なんかになにができるのだろうかと思いながら門を叩いた。





初日なのでとりあえず見学をすることになった。



このスクールは英語と算数、そして日本語を教えている。

日本人の方が建てたフリースクールで、無料で授業をしている。



見ず知らずの俺に

「こんにちは!」

と、とびきりの笑顔で言ってくる子どもたち。






授業が始まると、俺は涙をこらえるのに必死だった。






わからないことがあったら失敗を恐れずにどんどん質問する。

英語や日本語の発声練習はめちゃくちゃ大きな声。

答えがわかったときのキラキラした笑顔。

問題を解いてるときの真剣な表情・・・






なんだこれ・・・


こんな、屋根しかないような教室で。
クソ暑いなか、エアコンもないのに。
蚊を払いながら、手作りの木のイスと木の机で、一生懸命に勉強する子どもたち。



誰一人として、サボっていなかった。みんな一生懸命。みんな楽しそうに学んでいた。




日本との違いはなんだろう?
日本はちゃんとした屋根のある屋内で、エアコン付の涼しい教室で学んでいる。
食べるものにだって困らないし、教科書もちゃんとしたのがある。

しかし、こんなにも一生懸命に勉強に打ち込むことはめったにない。





カンボジアでは、勉強ができるということ自体が嬉しいんだろうな・・・
だからこんなに、一生懸命なんだ。






感動と悔しさと哀しさがいっぺんにやってきて、



涙が流れそうになる






なんだよ、これ
こんなに貧しいのに、なんでこんなに笑いながら学べるんだよ・・・



じゃあ、日本はなんなんだよ
アジアで一番豊かな国のはずだろ?

本当の豊かさってなんなんだよ・・・


くそっ


俺は、今までなにしてたんだろ

なにも知らずにぬくぬくと生きてきてさ
嫌いな科目は避けてきて、勉強なんか嫌いだとか言ってさ

何様なんだよ俺は




これから俺になにができるんだろう



こんなに真っ直ぐな子たちに、なにができるんだろう



頭の中をぐるぐると回る、感動と悔しさと哀しさ



考えれば考えるほど、涙が出そうになる


理由はわからない。けど、勝手に出てくるんだ







今日一日だけで、カンボジアに来てよかったと心から思えた。
これから始まるボランティアの日々。



俺はきっとなにもできないけど。できるかぎりのことをしたい。
そして彼らからたくさん学んで、それを日本に伝えたいな。




本当はアンコールワットに行った記事を書くつもりだったけど、
今日自分が感じた感情を早いとこ記録に残したくて書きました。



読みづらいかもしれないけど、俺の心の中をそのまま書いたようなもんだから、勘弁してね。



  


Posted by shinzatosun at 23:58Comments(12)